2011年10月07日
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和田堀給水所の土地はかつて何だったのか

Written By: 川俣 晶連絡先

 てさんからのメッセージです。

川俣さん。こんばんは。

代田ワクワクランドで発見です。

雨の外周り探査の次の日…

当って砕けろで、大原稲荷神社の神主さんにインタビュウーを、試みました。

みんな何故か京王線で区切って考えがちですが、和田堀給水所の半分は、大原稲荷神社の土地だったそうです。東京の為と譲渡したそうです。

明治に計画され、2号池は大正後期に、1号池は昭和の10年代に完成し、東京を潤わせたそうです。

半分クリアーで、後は捜索中です。また、報告します。

 さて。

 京王線で区切って考えたくはないのですが、京王線と井の頭通りと和田堀給水所の建設により、この部分は現地の痕跡からは良く分からないのです。

 しかし、大原稲荷神社の土地だとすると、ある程度推定できるかも知れません。京王線建設前の地図を今昔マップ2で引くと現存する道と現存しない道で大原稲荷神社が囲まれています。この範囲をとりあえず、大原稲荷神社の土地と仮定してみましょう。(これだけが大原稲荷神社の土地とは限りません)

明治42年

 これを現代の地図に当てはめます。

平成13年

 確かに、大原稲荷神社の土地と和田堀給水所の土地は重なります。

だがしかし §

 前から漠然と思っていました。

 大原稲荷神社は狭すぎる……。猫の額のような土地に神社があるとは。

 しかし、もともともっと広い土地があったと考えれば筋が通りますね。

 というわけで、なぜか気になっていたが特に追求しようとは思っていなかった別の謎が解けてしまいました。これは驚いた! 勇気あるてさんに感謝。

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